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「豪玉万里紀行」紀行 第17号


□■□ 「豪玉万里紀行」紀行 □■□


旅を旅し、紀行を紀行に綴ってお届けします。
嵐のような柿落とし公演が終わって、はや10日。昼休みを小道具の材料探しではなく、本屋でのんびり過ごす贅沢を味わっています。
ラジオ体操の最後、ゆったりと深呼吸する心持ちで、メルマガ第17号をお送りします。

----【 目次 】--------------
・旅のご報告
・演出・武谷より
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△▽△ 旅のご報告 ▽△▽
遅ればせながら改めまして、ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。
あの小さな劇場に、220余人もの方にご来場いただきました。見えにくい席もあったかと思います、お尻の痛い席もあったかと思います。でも、役者の息遣いはどのお客様にも届いたのではないでしょうか。あの狭さはどうにもなりませんが、せめてお尻が痛くないように座布団を改良して、またのご来場をお待ちしています。

△▽△ 演出・武谷より ▽△▽
 「万里の宿」こけら落し公演に多数の御来場ありがとうございました。2日目からは客席を組替えなければならないほどの多くの方に来ていただいて大変嬉しく思っています。次回以降もよろしくお願いします。
見に来ていただいた方から、「劇場付の自宅はというのはすごい」とか「住い付の劇場ですね」とか言っていただきましたが、「万里の宿」は劇場付自宅でも、自宅付劇場でもありません。
 いわば劇場でありつつ自宅なのであり、住いでありつつ芝居小屋なのです。劇場の上に住める部分を作ったとか、自宅の一部を劇場に提供したと言うことではなく(そんな豪勢なことはできません)、芝居小屋と住いが一体化した場所が「万里の宿」なのです。
 これははっきり言ってめっちゃ不便です。田中などは集中できないもので「ちゃんと分けとけ」とぷりぷり怒っていましたし、私の家族はうるさいと言って同じくぷりぷり怒っていました。
 しかしこれをくっきり分けてしまうとはっきり言って劇場の上にマンションが建っているようなよくあるビルと同じ事になってしまうので、わざわざ借金して建てる必要はないということになります。
 「万里の宿」が珍しいとすればまさにこの点で、ある意味では私の家族はオペラ座の怪人であり、ある意味では豪玉は武谷さんちの居間で舞台に立っていることになるのです。
 このような場所ではそこが舞台なのか何なのかわからなくなるので、観客も芝居を見に来たお客さんかどうか不安になります。自分は観客であるという安心の上に舞台を観るのでは舞台は他者にすぎません。自分がなんなのか分からなくなるというのが舞台を観る一つの目的といってもいいかもしれません。これは映画にはなかなか難しいことで「演劇」でこそ可能な効果なのです。しかしいかに演劇であってもプロセニアムの向こうで表現するだけで、そこまでの効果を得ることはかなり高度な作業です。
 自分がどこにいるのかわからない、自分がなんなのか分からなくなる。そんな舞台を目指してここ20年ばかり苦労してきましたが、「万里の宿」もそのための装置のひとつです。
 種明しをすると装置の効果は半減しますね。秘密にしておいて下さい。
 次の「万里の宿」はまた全然違った印象で皆さんを迎えることでしょう。お会いできる時を楽しみにしています。
武谷嘉之

△▽△▽ 編集後記 ▽△▽△
初日を無事終えて帰宅すると、茶の間の照明が蛍光灯からLEDになってました。ひもが無くなり、リモコンに。「昭和は遠くなりにけり」と一人呟いた夜でした。
豪玉万里紀行のホームページ。http://homepage2.nifty.com/gotama2/お暇なら覗いてみてください。

         江間 敦子